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ぼそり3◎第25回(平成17年4月15日)
『 横 須 賀 中 央 』
先日(といっても、もう3週間前ですが)、「中川久・藤田修 刻印された光と記憶」(横須賀市文化会館市民ギャラリー)という展覧会に行きました。
横須賀在住の二人の作家による作品展で、2007年オープンの横須賀市美術館のプレオープン企画です。
遅まきながら、そして長文ですが、以下そのリポートです。
3月27日、快晴微風。この日は展覧会最終日。
正午過ぎに自宅を出発、横浜から京浜急行で横須賀中央駅へ。横須賀って遠そうな印象があるかもしれませんが、横浜からだと(快特に乗れば)25分くらいです。渋谷へ行くのとくらべると、ほんの数分の違いですが、若干早い。案外と近いのです。
さておき。
横須賀中央駅前は、なんとなくJR船橋駅前に似ています。ターミナルの上に歩道橋、手前にせまる雑居ビル。違うところは、西口の平坂商店街の坂道っぷりでしょうか。横須賀に来るのは、十何年かぶりです。前に来たのは、家業の手伝いで海自の基地に行ったときでした。そのときは、駅前をトラックで通過しただけでした。横須賀中央のあたりは、そんなわけでよく知っているわけではありませんけど、坂がちで、港が近くて、下町っぽくもあって、好きな感じです。
見上げるような坂道をのぼって、路地に入って、ウネウネと住宅街の中を抜けて丘の上に出ると、広い敷地に大きな白い建物
が建ってます。会場の横須賀市文化会館です。会館の入り口は東向き。その方向には海がありますが、直接は見られません。(近くの公園からは、猿島や港を一望できます。) 入り口前には、デンと展覧会の看板アリ。
当日は、展覧会の他に県立高校の吹奏楽部の演奏会も催されていて、学生さんやその家族の姿もチラホラと見えますが、混雑している風ではなく、静かで落ち着いた感じです。
というわけで、会館3階の市民ギャラリーへ。
ギャラリーは、ロビーをはさんで左右に二つに分かれていて、左が中川展、右が藤田展。ロビーの一面は全面ガラスで、建物の間にかろうじて海がちょっぴり望めます。
今回は、僕の中でのメインは藤田展でした。メインは、あとからじっくりと。ということでまず中川展。
中川さんは、僕にとっては未知の人です。作品を見るのも初めてです。(最終日ということで、御本人が会場にいらっしゃいました。けっこう長身。)
さて、では少々、僕の印象をひとつ。
海側の窓のブラインドが半分開いていて、光のよく差す明るい会場。最初のスペースにある作品は、キャンパス地等に描かれた大型作品。張られたものではなくて、壁に細いピンで留められています。刷毛かスキージで描いた(重ねた)色面の形に応じてへりがカットされていて、シェイプドキャンバス状になってます。一見して、画面いっぱいに規則的だけど多少の誤差をもたせた色彩のパターンが描かれていて、たくさんの色があるように見えるんですが、実際にはスキージで重ねられた色は近似・近接した色相数色で、半透明の絵の具による重ねの効果と、重ねた色を削ることによる下の色の表出と、さらに下の白い地の点というのもあって、大きな色面と微細な明色の点面による情報量の多さからくる印象、という感じです。絵の上に浮ぶユラユラとした光のパターンを見ているような感覚です。パターンが生む、どこか一点に目が落ち着くことなく全体をゆらゆらと視線が行きます。交互して知覚する絵の具の様々な物質感。重ねた絵の具を削って作った白い点が、ピンホールからもれる光点のようで、この光の点もまた、微細に明滅しているような印象。
木による、わずか変型した直方体の作品もあり、全面に青を基調にした、スキージによるのでしょう、着彩が施されていて、
これはさらに平面のイリュージョンが立体の実在感と相まって強く、中川展ではこの立体作品が一番印象に残っています。
また、作品を見ていて、大学生のときに聞いた話も思い出しました。(本の表紙には、店の外から見たときに得られる印象・情報、店の中で本の近くまで来たときの印象・情報、そして本を手に取って間近で見たときの印象・情報の、三種類の距離に応じて段階的に発信する・受信される内容があることをふまえて製作する、というような内容です)
ちなみにこの展覧会、入場無料でした。
気軽に何度でも入退出し、お茶を飲んだり、タバコ吸ったり、また観たりできます。なので、中川展鑑賞後、ひとまず休憩。スケッチ帳に落描きしたり、一服したりしました。僕の他は、見かけたかぎりでは来場者は20人くらいだったでしょうか。近所の人っていうのでもないんでしょうけど、気軽な感じで見に来ている人たちが多かったです。親子連れの人もいたし、メモをとっている美大生風の若い人もいたし、カップルもしたし、もちろん最終日ということで作家本人の知人友人と思われる人もいました。
作品展でベビーカーを押しながら見ている人もいて、ある理想を見た気もしました。
改めて3階。今度は藤田展。
こちらは一転、外光は遮断され、スポット光で各作品が照らされています。なんで藤田展がメインかと言えば、個人的に知己のある方だというのもありますが、80年代から最近作までのフォトエッチング作品等67点を展示した回顧的な内容構成であったからです。時系列で並んでいるわけではないですが、一堂然として作品が並び、かつて見た作品を比べつつ合わせつつ見ることができるのは、願ってもないことです。
作品は、モノトーンで、ゴシック的で、写真をベースにしていますがそれを分割し、ズラし、その上に文字やわずかなマス目の線、細く盛り上がるインクの線の束が走り、白と見える部分にもごくごく薄い細い線がさざめくようにあり、絵の中の光景ではなく、絵そのものの存在感・物質感が印象的で、作品そのもののもつモノとしての抵抗感から得る体験というものを思います。
絵の中にある光景を体験するというより、それはマラソンコースの折り返し点に似て、人によってはその具体的なイメージを導入にして、作品の表面(実在する表面)に立ち返り、そこに在る(実在する)白と黒で出来上がっている存在を、目だけでなく触覚も使うかのように見て、それは、そのとき自分が居る空間に向けられる知覚にもさざ波を起こして、一寸前とは違う空間感を得るような、そんなこともあるかもしれないなと思ったりもします。
一つの作品が、それがある空間の触感に、今まで気付かなかった界面があることを明らかにするような、そんな感じがします。
美術に限らず、デザインも、あるいは小説や音楽も、一つにはそういう、日々経験するものの中の気付かぬ一面を、多面的なものの一部を切り出したり、スポットを当てたりして、気付かぬままに固定化・安定化して袋小路の中の経験が多分になりがちな個々人の感覚を刺激して、知覚する世界を広げるきっかけを作るものなんだろうと思います。
(藤田作品詳細等については、こちらやコチラをどうぞ。)
一寸、3階ロビーで休憩。学芸員らしい男性と女性が向かいで話しています。エレベーターが来て、女性が一人降りて、奥に行って、もどってきます。男性と女性が、エレベーターの女性と挨拶を交わし、立ち話。(なんとなく話を聞いていたら、そのやってきた女性は藤田氏の奥さんでした)
遅ればせて、奥さんに名乗ってご挨拶。高校時代、授業で僕と一緒に藤田先生に教わった同輩の近況などなど少々立ち話。
で、閉館ギリギリまで鑑賞し、展覧会カタログを購入し、近所の公園で海を眺め、うちに帰ったのでありました。【K】
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