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ぼそり4◎第3回(2008年5月21日)
『きほく』
ここでモノを書くのも、大分久しぶりです。
まずは以前、友人のMJと交わした会話の一部抜粋をお送りします。
MJ「小学校の頃の思い出って、なにか憶えてる?」
相川「そう言われると、何も思い出せない・・・」
MJ「憶えてるような気がしてるだけで、実はすごく忘れてない?」
相川「きみも僕も、もしかしたら小学校に行ってないのかも・・・」
もちろん、いくら相川でも小学校は出ています。クラス写真に卒業証書、物証はいろいろあります。しかし今になってそれらをしみじみ眺むれば、まるで身に覚えのない借金の証文でも見せられたような心持ちを感じるその不思議。頭を打ったわけでもないのに子供時代がスッポリ記憶から抜けていて、居並ぶ級友の顔を見ても、名前がぜんぜん思い出せない。脳の思い出容量とでも言うべきものがあるならば、それがものすごく小さいか、あるいは一部のトラックに破損があるのか。とにかくMJと僕の間では、子供時代はひどくぼんやりしているものだなんだなあということで、その場ではコンセンサスがとれたと言いますか、お互いそういうものなのであろうと納得し、安心し、前向きに今日という日をまずは一生懸命に生きて、そして明日につなげていこう(昨日は忘れても問題ないことになったので割愛)ということになったような気がしますが、それもどうだったか記憶があやしい。
純粋に自分だけのことなら、どれだけ忘れてても一向に問題がない事柄ですが、しかし、そこに誰かが関わっている場合、途端に『無礼千万な人』ということになってしまいます。我が身に当てはめればそれは当然至極、自分と共有した時間を憶えていないことほど残念なこともないわけで、場合によっては死角から浴びるドロップキックも甘んじて受けねばなりません。
子供時代を共有したどなたかから、そのデンジャーな部分(つまり子供のころの思い出)の話題をふられると、僕は常に頭の先に穴を開けられて、そこからよく冷えた冷えぴたシートの中身を今まさに注入されるような心持ちを覚えます。そういう状況で「憶えてません」と言うわけにはもちろんいかず、と言って「憶えてます」と言えばウソになる。苦肉の策で『あいまいな笑顔を浮かべる』以外にグッドな対応が考えつかなくて、つい先日もそれでどうにか切り抜けたばかりです。
僕はA型なので、こういったグレーな感じで済ますのはこれまで若干の抵抗感があったんですが、最近は年経て成長したのか老獪になったのかわかりませんが、グレーにしておいた方がいい場合はグレーにしておく方が平和だと思うようになりました。事態が去ってから、周辺に聞き取りでもして後付けで記憶を補強すれば大丈夫なのでは? と考えるようになったのです。
しかし最近は、もっと近過去のこともよく忘れるようになっていて、これはさすがにグレーな笑顔では対応できかねるわけで。特に、人の顔と名前をスカッと忘れてるということ、数えようにも数知れず(一回お会いしただけでは憶えられないのです)。
そういったことがあんまり続くので、この頃は出来るだけ名前をうかがったらすぐに書き留めるようにしているんですが、来るべき近未来、憶えてない状況に直面するかもという恐怖にビビるあまり、うっかりご当人の見てる前で書き留め作業をするので、結局は『無礼千万な人』になっています。
【相川】
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