「アポロ」

ポルノグラフィティ  1999

T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
GUESTBOOK/BACKNUMBERS


サウンドというのは、別にメロディーや楽器の鳴っている音、そしてヴォーカルの声のことだけを指すのではないのだろう。それがインストゥルメンタルではない、一般のいわゆるポップスとかいわれるジャンルの唄であったら、そういう物理的な「音」以外にサウンドとして重要になってくるのが「歌詞」の響きってやつだと思う。ポルノグラフィティは不意打ちを食らわした。いや、ポルノグラ「フィ」ティという時点でもうただものではないようなのである。なんかの雑誌の記事かなんかで読んだのだが、インパクトのあるバンド名が欲しくてこういう名前になったんだそうだ。よっぽど健全に育てられてきたのだなあと感心さえしてしまいそうである。<ポルノグラ「フィ」ティ>というのは<ポルノグラ「フ」ティ>というよりもなんか芸術よりな感じがして、いまいちこの言葉の響きが好きでない。なんていうか、潔くないなーみたいな。<ポルノグラフティ>のほうが、なんかエロそうな気がする・・・ってそんなのどうでもいい?あ、唄の話でしたね、すいません。歌詞の響き、これはすごく大事なことだと思うという話だ。唄っていうのはたとえばラブソングだったりすると、普通の考え方でいうと出現する単語っていうのはほぼお決まりのものになってくるのが多い。「君を誰よりも愛している」だの、「あなたしか見えない」だの、この手の言葉はもう使い古されすぎて新鮮味がない。新鮮味がなくなってきたもののなかの一部の言葉は、長い間漬けておいた漬物のように味に深み、年輪のようなものが感じられるようになってくる。こうなると、この言葉はかつて新鮮だったときのような「つかみ」を取る役割ではなく、新たに「キメ」の言葉として使われるようになるのである。「アポロ」という響きは、ましてや「アポロX号」だのという言葉はなかなか唄には出てこない。これこそ捨て身の「つかみ」である。コンビニやテレビ、ラジオなどで図らずしてこの歌を耳にしてしまった人々に対して、このつかみが効いたのかもしれない。それがこのヒットの要因の一端を担っているともいえよう。たかか言葉、されど言葉である。

しかし、この唄といい、このバンドといい、見ていてつい笑ってしまうんですね。なんというか、全てがちぐはぐでおかしくなってしまう。なんで「アポロ11号」なのか?それで歌詞がよくわからん。一人ボケ突っ込みのようなことを、えんえんと歌の中でやってしまうような、薄ら寒いボケが得意な人のマスターベーションのようで、しかし、それがちっともサムくきこえないというのは、ヴォーカルの役割が大きいのかもしれない。そういう歌詞を、まるで戦隊モノの主題歌を歌うのがお似合いなような声質のヴォーカルが、とりあえず一生懸命うたっている。ドラムをはじめとする伴奏を担当する楽器は、やたら先へ先へ急いでいるような気がする。歌詞をよく聴いていると、ついには脈略のないことまで言い出してしまう。頭の中がバグっちゃうのはこっちのほうである。

そして、下手をすると癖になってしまう。気がついたらあの脈絡のない歌詞を口ずさんでしまっていたりする。これは怖いことだ。このちぐはぐさ、R&Bだとかラップだとかそういう音楽用語をまったく感じさせない、雑多なPOPSの魅力ともいえるのかもしれないが。このちぐはぐさを、計算ずくで出すことができるのなら、このポルノな人々はそうとうのエンターティナーなのだと思うし、もし天然だとすると、このノリにたくさんの人が2作目3作目とついてこれるとは思えない。一発だけの打ち上げ花火で終わってしまうかもしれない。


ぶんせきは
KENTARO