「friends」

綾戸智絵 1999

T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
GUESTBOOK/BACKNUMBERS


綾戸智絵を最初に聴いたのはTVだった。僕はこの人が「何屋」なのか、番組の最後まで理解していなかった。とにかくパワフルでソウルフルなヴォーカルに圧倒されるのみ。いかにも「喉で食ってる」って感じの人だということ、こりゃいいヴォーカルに出会えたなという思いだけであった。あとから様々な音楽誌その他を探ってみても、なかなか彼女の名前にぶつからない。ひたすらドメスティックなシーンの中で、はまる枠が見つからんのかなあなどと勝手に思っていたのだが、何のことはない、この人はジャズの世界の人であったらしい。後日、僕が観たTVを録画していた友人からテープを借り受け観なおしてみたのだが、番組中でもしっかり「ジャズシンガー」として紹介されているではないか。しかし、この人は僕の聞きかじりの先入観による「ジャズの人」ではなかった。ちょっとしたショックだった。

僕はジャズは良く知らない。好んで聴くアーティストも、殆どいないといっていい。父親が買って積んである「不滅のジャズ大全(CBSソニー)」みたいなものを持ち出して、一通り聴いてみるくらいのことしかしてないから、頭から出て来るのは、ごくごく有名なミュージシャンの、有名な作のみ。いまだって、コルトレーンの名前を失念しそうになったくらいだ。興味はあるのだが、入っていきにくい。昔、大学の授業のレポートを書く関係で、少しジャズについて勉強したこともあったけれど、いろんな流れがあって、どこから入っていいのか良く分からない。音楽なんていいと思ったものを聴けばいい、僕は基本的にそう思っているのだけれど、どうもそれすら声に大にして言えないのではないかと思わせるくらい、ジャズというジャンル内には敷居の高さを感じる。

もとい、綾戸智絵はどうやらジャズの人であるらしい。確かに、FMファンのレビューもしっかりジャズの欄に掲載されている。ジャズ界では今年の台風の目だったのだそうだ。セールスはダントツ、オーチャードホールを3日間満員にしてしまったらしい。「人気沸騰」とのこと。しかし、この賛辞を見る限り、僕は「話が小せえなァ」と思うしかない。いくら人気が沸騰してたか知らないが、少なくともそれまで一般小市民の僕の耳には届いてこなかったのだ。ジャンルでくくられる弊害を見た気がする。

この「friends」というアルバム、通しで聴いてみるとひとつやふたつは知っている曲が出てくる。ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」、ビートルズの「HERE,THERE and EVERYWHERE」など、それが綾戸のヴォーカルによって奏でられていく。アコースティックな音、人間が演奏しているので無ければ絶対に出ないグルーヴ、そしてメインとして綾戸の「声」という楽器が主旋律を奏でる。ジャズとして聴いて「スゴイ」のではない。Misiaや宇多田と同列に聴いても、きっと「スゴイ」のだと思う。確かに表現の仕方はいわゆるジャズの範疇を大幅に出たものではない。でも、このアルバムには、そして綾戸のヴォーカルにはジャズ的でない、市井のポピュラーな音楽を聴きつけている人をもうならせるものがある。

他の、マイルスやコルトレーンを聴く時は頭の中が「ジャズ」モードになっている。オレはジャズを聴いているんだ、そういう前提のもとに聴いてしまう。綾戸のアルバムにはそれがない。ジャズを聴いている気分がしないのだ.それだけに、レコード屋の「ジャズ」の棚に並んでしまう、これは惜しい。ジャズ好きの方には申し訳ないが、綾戸のばあい、このことがセールスにも、イメージ的にもマイナスに働いている、そう感じられるのだ。

賛否両論あろうかと思うが、この一年の似非R&Bブームでは、いろいろなシンガーが現れたが、どの歌手も歌唱力だけはまあまあいい線いっている。ヴォーカルの力というのがそれなりに重視されてきているのだと思う。その延長として綾戸智絵がいても、けしておかしくない。ジャズはスタイルに過ぎず、肩書きではない。ジャズシンガーという肩書きなしに、ひとりのヴォーカリストとしてもっと沢山の人に聴かれて欲しい。


ぶんせきは
KENTARO