「BEACH BABY」 (3/5)
BAHA MEN 1997
T0P/KINKYO / BACKNUMBERS /


海水浴場の割れたスピーカーから流れる音は哀しい。

それがどんな音であっても、たとえば陰鬱なスティングの声色であっても、陽気なカハラトモミやジュディ・アンド・マリーやヒトミであったとしても、笑えない演歌調のコミック・ソングであったとしても、哀しく響くから不思議だ。唄は、家にあるソニーのスピーカーからや、クルマのステレオから流れてくるためだけのものではない。ショップのスピーカから流れる音からは血流や体温が失われていくように、どこから流れているのか、それが肝心な部分も大きい。

ぼぉっと水平線とその上に広がる入道雲を眺めながら、そんなことを考えていると、ふっと視界が遮られる。奴はプスプスと音をたてながら燃えていそうな、よれよれのマルボロを銜えたまま俺の顔を覗き込む。「オマエ、モウチョットタノシソウニシロヨ」

倦怠期だった。すべてがだ。ヒマすぎる日常にも疲れが来るものだと妙なことを納得した。いや、やることなら山ほどあるはずだ。宝の山を前にして、あえてそれを取らずにウロウロする、そういうこともあるもんだと認識し、その認識の新鮮さにも飽きはじめていた。3年目の夏は、それがピークに達する頃だ。秋がくれば、嫌が応でも論文のことが頭をもたげてくる。そして、紺色のスーツにネクタイを締めて、ビルの街を歩かなければいけない日々もそう遠くないのだ。宝の山は、まだ目の前に有った。

奴の頭が水面にあらわれては沈み、沈んではまたあらわれしている。どうしてここに来ることになったのか、それすらも良くわからない。無目的、無関心、無感情。いや、嘘だ。こうして日常を愉しみつつ、日々は過ぎていっている。ぐるぐるとそんなことを考え、しかしあるサークルの一歩外に出るのは億劫だった。限られた場所、限られた人の中で、少ないオモシロイコトを探して日々を過ごす。マルボロに火が点かない。渋い煙りを吸い込みながら、頭のなかには退廃の二文字が浮かぶ。どうでも良い午後、どうでも良い時間。その尊さ、今だ知る由もなく。

割れたスピーカーから、「BEACH BABY」が流れてくる。部屋で聴いたバハ・メンは、根拠のない夏への憧憬。それが海辺というシチュエーションで退廃のいいオトモになっている。奴も疲れたふうに、俺のすぐそばに横たわって、溜息をひとつ。ひたすら、時間を消費することを考えて過ごす二人。その晩、俺ははじめて奴に抱かれた。これも退廃のはじまりであった。律動を受け止める日に焼けた背中が痛い。胸の中で何かが急速に冷えていく気がした。行為に対しても、本能に対しても虚ろな自分に驚いて、また、昼間のバハ・メンの歌声を思い出した。ジャケットがカラフルで、陽気なこの唄も、しかし、けだるい想い出。



ぶんせきは
KENTARO