「My Sweet Darlin'」(10/16)
矢井田瞳 2000
T0P/KINKYO
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実のところこの唄、僕は結構好きである。「ダーリン」が「ジャーリン」に聴こえた時点で、負けたというかんじであった。CDこそ買っていないものの、僕はこの唄がマスメディアから流れてきたりすると、嬉しそうに「ジャーリンジャーリーン」と一緒に口ずさんでしまうまでになった。僕と同類の人が増えているのか知らないが、前作に比べて、このシングルの売上は極めて芳しくなっているようだ。そもそも、世の中にはそんなにこだわって音楽を聴く人は少ない。それよりもちょっとしたメロディーラインや歌詞の使い方が、ヒットという側面だけを見れば効いてくる。そして少なくともイマの音楽業界やそれに関わるメディアの見方としては、CDの売上を見てその人がトップ・アーティストかどうかを決めている、つまり、CDの主購買層である若年層の人気投票のような形でトップ・アーティストかそうじゃないかの判定が行われているがゆえに、この後少したてば、この矢井田瞳もそう呼ばれている可能性は少なくない。事実、ここのところ矢井田瞳を検索キイワードにしたアクセスがこのサイトでも飛躍的に増えている。これが支持する人の数や、CDの売上と比例するかどうかは分からないが、この「My Sweet Darlin'」のリリース以後、彼女への注目度は上がっているのではないかと思う。
この唄の、裏声を多用した歌唱が「ジャーリンジャーリーン」とドライブ感あふれるメロディーやアレンジに乗っているところが気持ちいい。僕の中の音楽オタク的な部分が、「でもこの歌唱法は前に椎名林檎がやっていた奴に似ているのでは・・・」などとささやきかけて来ないこともないが、しかしそれでも僕がこの唄を好み、口ずさんでしまうのは、そんな御託よりも、音楽を聴くずっと表層の部分に触れたものがあるような気がする。それは「LOVEマシーン」を最初に聴いて、「なんかいいな」と思ったときと似ている心境である。椎名林檎を「陰」のよさとするならば、矢井田は「陽」の良さだとか聴いていて矢井田のほうがあまり疲れないとか、そういう分析めいたこともさまざまに浮かんではくるが、それらが僕をして「ジャーリン」と口ずさませているとは思えないのである。
ますますもってこの矢井田の存在は一部の人には格好の議論のネタになっている。僕はこれについて人と熱く議論を交わそうとかいう欲求はさらさら無いのだが、他の人はどう思っているのかこっそり知ってみたかったりするので、たまにそういうところを覗いてみたりする。まあ、どうせ真実など知っている人はそこの掲示板にはおろか、矢井田自身も知らないのでは?みたいなことについて語るわけだから、あまり生産的なものになろうはずも無いが。それよりも、僕が(矢井田の件に限らず)思わず失笑し、その後自らを省みて恥ずかしい思いをさせられてしまうのはそうした音楽談義になったときに、「日本のリスナーの聴く耳を嘆き」、あたかも「聴く耳を研ぎ澄まさない」と、「日本の音楽市場はいつまでたっても成熟しない」と一席ぶつ音楽オタクどもである。まるで自分が地球の危機を救いに来たウルトラマンかなんかのように、個人の嗜好品に過ぎない音楽に土足で入り込んでくるのは不快だ。彼らのような物言いをする音楽好きな人々はいつの世もいた事は容易に想像できるが、てことはつまり彼らにかかれば日本の音楽市場などいつまでたっても成熟しないのだ。
僕もトシを取ってしまったのか、昔はそれと同様の考え方をしていた時期もあったから、自己の反省や恥ずかしさも入り混じって、そういうものを読むととても複雑かつ恥ずかしい思いが入り混じる。(僕が一時期エッセイとして書いていた最新シングルの批評めいたことをやめたのは、そういう心境の変化みたいなものがあったからなのだ。)
ぶんせきは
KENTARO