「Love Can Go Distance」 T0P/ MUSIC ESSAY/KINKYO
〜「ポップス」〜
山下達郎 1999
GUESTBOOK/BACKNUMBERS
「ポップス」というジャンルがある。これは一見とてもわかりやすいようで、じつはとても分かりにくい。今日び、日本のいわゆるベストヒットなんたらに登場するような人たちは、すべて「J-POP」のアーティストと呼ばれているが、この呼び方は、いままでJ-ロックだことの、ガールポップだことの、古くは叙情派フォーク、四畳半フォーク、ニューミュージックなど、新しい呼び方を常に生み出しつづけ、ジャンルの定義に明け暮れた結果、妥協の産物として行きついた先であると思われる。浜崎あゆみも、山崎まさよしも、SNAIL RAMPも宇多田ヒカルも、みんな同じ「J-POP」というジャンルだなんて、一昔前では眉をひそめられたことだろう。ようするに、みんなめんどくさくなっちゃったんじゃないかと思うのだ。まあ、裏を返せば、「めんどくさくなっちゃう」くらいジャンルというか、日本のアーティストの音楽志向に幅が出てきたとも考えられる。これは歓迎すべきことではあるが。数あるそんなジャンルをあらわす名称の中でも、この「ポップス」というのは、非常に息が長く使われている。使われているけれども、その意味の幅広さゆえに、あまり前面に押し出されて使われることはなかった。典型的なポップスって、いったいどんなもんの事を言うのか?、ときとしてそんな疑問が頭の中をよぎることもある。
山下達郎が、シングルを出してきた。それがこの「Love Can Go Distance」である。おとくいの人造アカペラが美しい。メロディーラインもドラマチックで盛り上がりがあり、かつ歌詞が全部英語だ。この唄はNTT-CのCMソングかなんかになっていて、商品イメージにもぴったりの唄である。もう一昔以上経ってしまったJRのシンデレラ・エキスプレスのCMソング「クリスマス・イブ」といい、ドラマチックな恋愛を唄わせるとやっぱりこの人の魅力は倍増する。昔は夏や海を好んで唄っていた達郎だが、夏と海にはあまりに本人のルックスにそぐわない。竹内まりやとのロマンスを経て培われたロマンチック路線のほうが、筆者は好きである。とてもきれいな曲である。きっと、チャートでももてはやされるに違いない、12、3年前ならば、だ。
山下達郎のいいところは、マニアックっぽいことをマニアックっぽく見せずにやってのけるところである。なんのとがったところもない、するっと抜けていくような曲に見せてしまうのだ。よくよく聴いてみると、とても緻密に、計算されつつ、しかし趣味に走って作られていることが分かる。結果的に、万人に受ける、というより、万人に「ひっかかり」を感じさせないということになる。昔の日本の音楽シーンなら、そういう歌こそ良かった。結局メガセールスを記録するのは、その時代のデファクトスタンダードという道が一本あって、その「お手本」に沿って曲をきれいに作っていった人たちである。ちょっと刺を持ったようなひとたちは、「そういうもんが好きな人」向けにひたすら小規模かつ根強いセールスで推移していった。そういう価値観からいうと、「ポップス」は分かりやすい。山下達郎はポップスの王道である。そういう人が、腕の鈍った風も見せずに今でもがんばっているのはうれしいが、この曲のチャートアクションに予想されるように、この「ポップスの王道」のはずの山下達郎は、多分もうそんなに売れない。「POP」ではなくなってしまったのである。
この曲は、とても良くできていて、これからのクリスマスシーズン、盛り上がってもいいかなと思うくらいである。本当に職人然とした音作りには、ただただ敬服するのみだ。筆者は山下達郎と出会っていらい、この人の書く曲に一番「ポップス」を感じていた。でもまわりを見回してみると、もう「ポップ」ではなくなってきつつあることにふと気づく。時代は流れる。人も、音楽も変わる。でも少し寂しいのだ。いい曲なんだけど、少し寂しい気分になってしまったのである。
ぶんせきは
KENTARO