「SEXY SEXY〜BEST OF the BIG BAND」 (6/11)
THE BRIAN SETZER ORCHESTRA 2002
T0P/KINKYO / BACKNUMBERS /


なんだか深刻な顔をしているようで、息が詰まりそうだ。元ちとせもいいが、宇多田ヒカルももっといいが、どうもこう解放しきった気分にはなれない。歌詞が切り捨てられている、とは日本の売れセンのポップスのことを眉をひそめてブチブチ貶す人の常套句のひとつ。いやいやどうして、最近のニホンゴの唄の歌詞は良くできているぞ。よくよく音・語感・適度なアジテートと計算されて作られている。そう、緻密なのかもしれない。僕は最近そんな中にあって馬鹿が少なくて少しさみしいような気もする。

ブライアン・セッツァー・オーケストラの楽曲の一つ一つは、この頃のいわゆるロカビリーのような音楽に造詣が深かったり思い入れがあったりする人には大変申し訳ないが、馬鹿である。旧きよきロックというものは多かれ少なかれみなそうであるが、中でもブライアン・セッツァー・オーケストラのアルバムではくっきりと、その馬鹿さ加減が浮き立っている。アルバムに付属している、日本語訳の歌詞などを見るからそういう印象を抱いてしまうのかもしれないが、否、言語は関係ない。歌詞だけ読むと、実に馬鹿なことをつらつらと歌っている。

>野良猫さまのお通りだ 俺は女にモテモテさ
>猫の世界のカサノヴァさ そういうことだ
>薄汚い老いぼれが 俺に靴を投げつける
>ゴミ箱から今夜のディナーを見つけよう
>("気取りやキャット")

>お前をガンガン揺さぶりたい(一晩中)
>一晩中眠らせないぜ(いいかい)
>何か俺に隠してるんだろ
>電話してくれよ ペンシルヴェニア 6-5000
>("ペンシルヴェニア 6-5000")

サウンドも馬鹿である。ビッグバンドを率いて派手派手に奏でられる大味な音もまた馬鹿さ加減爆発という具合。セッツアーのギタープレイがその中で際立っているが、しかしバックバンドの音のデカさとひたすら競争を繰り返しているようで、実に一本気、実に馬鹿馬鹿しく、ちまちましていない。だから、PEPSIのCMで、「SEXY SEXY」のペプシ版「PE・PE・PEPSI」をバックにトレーニングに励むイチローのクールさが僕にはちょっと滑稽に見えた。ミスマッチ、とは違う。滑稽でありながら、不思議と不自然ではなく、なにやら楽しくなってくる。なんだろうか、あのイチローの絵とビッグバンドの大げさで華やかで楽しい音が、例えばメジャーリーグとか、アメリカとか、そういったものの大味なよさやいい加減さや危うさや厳しさや傲慢さをすべてごった煮にしているような気がする。あの組み合わせはなかなかよかった。

しち面倒くさいゴタクを抜きにしてブライアン・セッツァー・オーケストラの現在における魅力を語るならば、この「馬鹿」という要素に尽きるのではないだろうかとさえ思う。ブライアン御大のお姿も、年季の入ったお肌にキンキンの髪にリーゼント。ベスト版の裏ジャケではプールにグラスにピンクの美女というお決まり過ぎるレイアウト。カッコいいオヤジには違いないが自分のオヤジがこうだったらちょっと考え物なのはご愛嬌。ロケンローラーはそうじゃなくっちゃ。そろそろ夏だし、ニホンのミュージシャンの中からも、こういう後ろから脳天に大きな穴が開いてしまうようなお馬鹿なチューンが出てこないだろうか、と結構真剣に願っているぜ、ロケンロー。



ぶんせきは
KENTARO