「サマージャム'95」(7/23)
スチャダラパー 1995
T0P/KINKYO
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スチャダラパーはニホンのラップの中でも特に好きなものの一つ。ラップとかヒップホップとか、僕は専門的にあまり聞かないのでよく分からないけど、彼らやかせきさいだあ、脱線3とかはそれをニホン風にとてもよく料理していると思う。ニホン風にとてもよく料理しているというと、口当たりのよい、ハクライもんから毒を抜いてユーザフレンドリーに仕上げましたという感じがするが、どっこいそうではない。ニホン風に、とっても尖っている。尖り加減がニホン風なのだ。彼らは、何かを主張するにしても、直球では絶対に主張してこない。回りくどく、ユーモア茶化し満載のライムのオブラートにくるんでくるんで、なかなか本題に入らない。ていうか、本題に入らないまま終わってしまうなんてのも見受けられるような気がする。しかし、これが逆に深読みの好きな向きにはたまらない。彼らのラップは快楽追及ではないのだ。その点では、とても「ヒップホップ」しているような気がする。彼らはアタマは良さそうだが、喧嘩は確実に弱い。しかし、相手にもっともダメージを与えるようなことを、ねちねちと小出しに伝えていくタイプだ。これがニホン風によく料理されていると僕が感じる所以でもある。
逆に、ちまたでたまにチャートに顔を出すニホンのラップは快楽追及型だ。トヨタのBbみたいなもんである。だみ声、大音量、熱すぎるライム、どれをとっても直訳版、王様のディープパープルみたいにさえ聞こえる。ニホン風の差し挟まれる余地は、その曲だけ聞くとどこにもない。しかし、ヘンに料理されていない分、本場っぽい感覚に浸れるのもまた事実だ。それっぽい音楽、しかしライムはよく聞けば日本語、意味を取ろうと思えば容易に取れる、そうした安心感が、昨今の支持につながっているのではと僕は見る。ここが、Bbでいう「トヨタ車の信頼性」というヤツだ。サバーバンやアストロでは、どうもイマイチ信頼が置けず、安心感がない。さりげなくトヨタ製であることで、敷居はぐっと低くなるのである。小賢しい顔をしてそれはニセモンだ、と言ってしまえば簡単であるが、しかし大衆の求めているものは質の良いフェイクであって、めんどくさいオリジナリティは必要ないということも往々にしてあるものだ。快楽追及型の、限りなくバカになれるツールの一つに和製ヒップホップがあるならば、スチャダラパーVSラッパ我リヤの勝負は最初からついてしまっている。
スチャダラパーの話に戻ろう。スチャダラパーの魅力のひとつに、エッセイを読んでいるような感覚、とでもいえるものがある。なんとなく聴いていて、ぼそぼそぼそぼそなんか言っているんだけど、たまにとっても引っかかってくるいいフレーズがある。しかも引っ張ってくる題材が、日常的「ある感」の強いものが多い。アルバム「タワーリングナンセンス」なんかはそうした曲満載のアルバムで、とても好きだ。
今回お題として取り上げた「サマージャム'95」も、「ある感」が大きな役割を果たしているが、それ以上に全体にかもし出されるこの曲の雰囲気が好きだ。ちょっと虚脱して、暑くて実はあんまりやる気なくって、でも夏なんだよねなんかしなきゃという夏特有の気怠さと開放感が微妙なバランスで両者成り立っている感じ、それをとても感じることができて、聴いていて非常に居心地がよい。前に書いた「LIFE」とは対極である。
みんなそそのかされちまう
ついつい流されちまう
結局暑さでまいっちまう
このフレーズが引っかかって離れず、しかし心地よい。海へ山へ、ただでさえ少ない夏休みにやけくそになって解放を味わいに出かける人々が急に労しくなる瞬間である。等身大の夏が、ここにあるのだ。夏向きの曲、CMが今花盛りだが、世間一般の「夏」にどうやら休みを取ることができなそうな方にとっては、とてもよい夏のリラクゼーション・チューンになるだろう。特に筆者と同年代かそれよりちょっと上の人にとっては、ちりばめられる文化的事象の描写に、過ぎ去りし青春の日々かなんかがオーバーラップして、癒し感増大である。アルバム「5thWheel2theCoarch」収録。
ぶんせきは
KENTARO