「B'coz I love you」(4/18)
矢井田瞳 2000
T0P/KINKYO / BACKNUMBERS /


うーむ、これはやっぱり、世間の人からみると、「似てる」っていう風に言われちゃうんだろうなあ…。
矢井田瞳の曲を聴き、僕はうなってしまった。似ているといわれている対象、それは紛れもない椎名”長期休養”林檎である。

僕の「似ている」「似てない」論に関してはここで言い尽くしているので、ここでいまさら同じことをもう1度書くつもりはないが、しかし、奇しくも、という感じである。1年半前にこのような事を想像できただろうか。あ、まあ、出来ただろうな。似ていることが全て、糾弾されるべき事ではないという事だ。よって、今回のエッセイは、彼女を聴いた単純な雑感、というものになってしまうが、まとまってなくて申し訳ない。

レコード会社も椎名林檎と同じとの事。まぁ、ビジネス的にはこのやり方、けっこうイケるのではと思う。そして、アーティストご本人までもソノ気ならば、それは偉大なる商業アーティストである事に他ならない。ただし、レコード会社にそこまでの計算があったかどうかは、われわれ市井の人間の井戸端会議における推測の域を出ることのないことだ。

僕が矢井田瞳の唄をはじめて聞いたのは、J-WAVEのなんかの番組だった。いかにも大阪ドメスティックな彼女の物言い振る舞いに結構引いたが、しかしこの人が、まさか椎名林檎と似ていると巷で言われているようなアーティストだとは思わなかった。番組で流れる曲を聴き、生唄コーナーを聴き、似ているとはこの人だったのか、と認識するとともに、しかし何か違うような気もしたのである。まあ、世に出ている彼女の曲が数曲なので、彼女の音楽世界がどのようなものであるのか、今のところ判断をする事は出来ないが。

しかしまあ、歌い方は、同じような手法である。フレーズのお尻でファルセットを絡ませる、アラニスや林檎と同じ唄い方だ。声質も近いだろう。しかしそれだけで(「似ている」というのではなく)パクリと論破してしまうのは僕は好まない。よく言えばこういう唄い方をとる日本人アーティストが複数出てきたと、そういう事だろう。要は表現方式が極めて近いだけだ。生唄で聴いた彼女のギター・プレイは荒削りながら聴き応えがあった。アンプラグドで聴くと結構映えるギターと声だ。

矢井田瞳は、少なくとも番組の中では「椎名林檎に似ている」と評されるのとは似つかわしくないほど(ややこしいな)きゃらきゃらとした女性であった。ナビゲーターの質問にもはきはきと答える。それが椎名林檎と似ていると呼ばれていることは、曲を聴くまでは信じがたいものと思わせた。ナビゲーターに「椎名林檎と似ているといわれるが」と振られても、きっぱりと、かつ無邪気に、「林檎ちゃんには林檎ちゃんの音楽世界がありますし、ヤイコにはヤイコの世界がありますから」とかわす。普段聴く音楽について、林檎の唄もよく聴くかと振られても「あんま聴いたことない」とinnocentな返答。なんだか、ここにアイドルの代替わりとか、若手女子アナエースの交替劇みたいなドロドロしたものを想起させられる。先代の女王に対して、限りない無関心を装う。しかし、実際として無関心なはずないだろうよ。もしこの受け答えが天然モノならば、矢井田の音楽を聴く才をかえって疑ってしまう。似てるといわれそうなのか、本当に似ているのか、このタイミングで自分の音楽が世に出ることについてどう思うか、それなりに胸中秘めるものはあると思う。それがない可能性は極めて低い。だからこそ、矢井田のイノセント具合がかもし出すこうした「様式美」なやり取りに、殺伐とした空気を感じてしまった。この辺は、アメリカっぽくやりすごしてしまいそうな倉木と宇多田とちがい、相手が林檎だ。血を見そうである。音楽の本質とは離れて、たんなるエンターテイメント・ゴシップとして、非常に愉しめるような気がする。



ぶんせきは
KENTARO