「Make up shadow/少年時代」
井上陽水
T0P/KINKYO
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「井上陽水は、傑作である」とは、「井上陽水全発言」でえのきどいちろうが書いていた言葉だ。井上陽水の唄は、発言は、振る舞いは、なるほど傑作である。そこには、ある種の非日常性や非人間性が組み込まれていると思う。かつてセフィーロのコマーシャルで彼が投げかけた「みなさん、お元気ですか」というフレーズでさえ、字面だけ見れば普段使われる「日常的」かつ「人間的」な言葉であるが、彼はそれを宇宙人が発しているかのような、インパクトのあるコピーに変えてしまっている。それは、彼の曲のタイトルにもよく表れていて、特に中期から後期、つまりは80年代に入るか入らないかあたり(逮捕以後)から現在までの作品に特に顕著だ。(「とまどうペリカン」「いっそセレナーデ」など)とても昔の唄は、歌詞にせよ、タイトルにせよ、根底に流れるものは変わらないが非日常・非人間性は今よりも薄いような気がする。
あこがれは 鮮やかなランブリングサマーシャドウに 夢みているだけ、笑って
映画の夢 それはパラダイス、ハリウッド 誰かにバッタリ、恋がめばえたり
なにかが今日はリアルでシュールな 青いシャドウに
二匹の豹のサファイアルビーの あの口づけ、秘め事に
Make−up Shadowに〜「Make up shadow」
非日常的な陽水は、華麗に言葉で遊んでみる。メロディーと歌詞・それぞれの言葉との一体感、それがこの曲を支えているといっても過言ではない。こうしてテキストにして改めて読んで見る事自体、ほとんど意味の無い事なのだ。いわゆる、耳あたりの良い音楽とは違う。この歌詞に隠された計算が見えるか見えないかのすれすれのところが、いわゆる新しい時代の陽水の真骨頂だと、僕は思っている。
夢が覚め 夜の中 永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで 夢はつまり 想い出のあとさき
夏まつり 宵かがり 胸のたかなりにあわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様〜「少年時代」
言葉遊びの要素が無いわけではないが、この「少年時代」では、そのあたたかさというか、ほのぼのしたさまというか、つまりは「Make up〜」にくらべずいぶんと体温が高い。日常、しかも誰の胸にもある懐かしい「少年時代」の夏への憧憬をやさしくうながす。そこには「リアルでシュールな」陽水はいないのだ。こうした、ふとした時に見せる人間性・日常性にまたひかれるものがある。陽水が自分の子供の少年野球チームの応援ソングを作曲し、こっそりシングルのカップリングに収録している話や、鈴木ヒロミツ(元モップス)を恩人として今でも敬うといったエピソードも、同じような気持ちを思い起こさせるのだ。「なんだ、陽水だって人間なんだ」これは落胆ではなく、僕にはプラス方向に作用する。すこしだけ、自分の住んでいる世界に近いところに来てくれたような気がするのだ。
そんな多面性を持った井上陽水は、だからライヴが面白い。次々に、そうした非人間性・非日常性とあたたかさのある人間的・日常的なものが交錯するからだ。そういうところが、彼のトークにも如実に現れる。これからも、井上陽水は面白い。
ぶんせきは
KENTARO